車窓の中で跳ねる五線譜

僕が脳裏を表にして書くブログです。難しい文体でごめんなさい。

飼育

快晴、それは青だ。青が全てを支配している。

反転したグラフィティ。生きる為には、その上に自分の色を残さなくてはいけない。

不潔だが、それが人間というものだ。

 

 

どうも今日は怠惰、身がふやける。枕が重い。暁が遠ざかっていく気配を聴く。温かさを脱ぎ去りブランチのスープを含む。こんなに目を開けたのが遅かったのは久し振りだ。ガムランの音色に似た食器の接触、水道の急流に流されていくスープの名残。僕があの液体の中を泳いでいた玉葱を噛み砕く度に、時間は消え行く今日の陽を嗜んでいる。死んだ人間にとやかく言ってもどうにもならない。

 

 

季節外れの桜。開花は有り得ない。だがその枝に人肌魅せる桃の泡が付いているような気がしてならない。雪が降っても良い澄みし有明に敬礼し、僕はまだ仄かにコンソメの香りがする家を出た。

 

 

外は寝床とは違った暖かさを僕に与えてくれる。変わらぬ営みが展開されている。ジョギング、出勤、買い物。僕みたいに散歩している人間はこの営みにカモフラージュされている。僕と同族の人間はいるのか。見た目では分からない。そこに面白味を感じる。

 

 

結局、僕は背景だ。この空に等しい。同じ人間、そう片付けられるのも仕方がないだろう。僕は、そこから逸脱しようともがいている。酸素を、大気を、この手で掴もうとしている。『逸脱』か。悟りと同じで、そう思った時点で僕は籠の鳥なんだろうな。