車窓の中で跳ねる五線譜

僕が脳裏を表にして書くブログです。難しい文体でごめんなさい。

薬飯

飢えた人の前でピアノを弾いても、飢えた人は救えない。

飢えた人の前で絵を描いても、飢えた人は救えない。

飢えた人の前で演じようとも、飢えた人は救えない。

芸術は癒せても満たせはしない。薬じゃ腹は満たせない。

満腹になるほど薬を飲んだら、その人は確実に死ぬだろう。

満ちた人は不足を求め、不足に悩み病む。それを癒すには。

 

芸術の根幹にあるもの、それは『美』だ。人間達は美を追い求めてきた。

美は崇高で、完璧で、万人から認められる。そういったものだ。

薬じゃ腹は満たせない。だから、美は完璧じゃない。

なのに美の万能さを盲信して猛進する狂信者達は自分を『アーティスト』だと名乗る。

 

ある人が、「音楽は国境を越える」と言った。それは世界平和の様に聞こえるが、実際は越えているだけで繋げてはいない。世界平和ではなく、世界共有に過ぎない。

飢饉に苦しむ人間が歌を求めているとは思えない。チャリティーコンサートは歌を捧げている訳ではなく、そこで生まれるお金を捧げているのだ。それは芸術の力で勝ち取ったものではあるが、芸術の力そのものではない。

 

美は人間に必要だ。しかし、生命維持に重要であるかどうかは別だ。

国は、芸術を不要不急と認定した。本当にそうだろうか。文化的な生活はどこへ行ったのか。

薬じゃ腹は満たせない。それが満腹になったと錯覚する薬だとしたら?

それは明らかに人間の内部システムを破壊する。代謝の輪廻を終わらせる。褒められたものじゃない。

 

人間が『心』を問う様に、人間が『豊かさ』といった表現を用いる様に芸術はそういった形のない信じるものに寄り添うものなのだ。宗教の祖が美しさの極致にあるのは、そういった信じるものの異なる万人に平等に寄り添える様にあるからなのかもしれない。

何を言っているのか、分からない人はそれで良い。知は時として残酷だ。その人の世界の知であるか、人の知であるかの判断は自分の世界を通してでは難しい。だから、割り切って生きる事も、戦略的撤退も、あって良いのだ。

 

薬じゃ腹は満たせないと再三言うのには訳がある。

 

薬は別腹、と言ったら面白いからだ。