さて、僕がこうしてブログとやらに手を出したのは140文字の檻に辟易した訳でも愚痴を連ねる訳でもない。自身の文に惚けては前に進めないと知って書く毎日だったが評価も一入、毎日を浪費している気がしてならない。いや、それはそれで生きる自然に目をやれて満足ではあるが。
病人が綴る手紙に情が込もるとは良く言ったものだが、僕のこの文に情を上回る稚拙さが秘められていては示しがつかない。という訳で怪訝な目でこのブログという物体の調理に望んだ。
自分語りをしようか悩んだ。所謂ここは宇宙の塵、流され見向きもされず消えていくものだと分かっているからだ。だが観測する科学者に対してそれなりの姿を見せるのも塵の務めだと思っている。いずれハレー彗星に追いつく塵になればと妄言を垂れてみたり。
僕は話す事、延いては論ずる事に興じているが、一人壁に向かい考えを描く事も嫌いではない。故に、これからここに自然や社会機構、絶対値など屁でもない人間の快活とした『生きる』という事に観賞用の壺を敬愛する古物商の姿勢に似た振る舞いで書いていこうと思う。
ぐぇー読み辛い......自棄に陥ってはいかん。文は己を裏切るが見る者を裏切りはしないのだ。吟遊詩人は彼方に追いやり、
適度に精進します。