車窓の中で跳ねる五線譜

僕が脳裏を表にして書くブログです。難しい文体でごめんなさい。

境界

ここは古巣だ。何年もここに来ていなかった。読み返すことすらせず、サイトURLだけが、フォルダの底にしまわれていた。

自分の過去の文を読み返し、改めて、自分の境遇の変化を感じる。様々なものに別れ、様々なものに出会った。まず、明らかに友人が減った。というのも、自分から離れた。明らかに言動がおかしくなっていた。自分だけが立ち止まり、プラスチック製の玩具を歪ませた時の表面が白んでいくあの様子、あの毎日が徐々に書く文、考える文、感じる文その全てから壊れて喪失の一途を辿っている。雨だ。雨は集合体で、総じて雨であって、降る雨粒一つ一つを見られるほど、目が冴えてはいない。自分の文章はそうなっていた。何かを書いてはいるが、何もないように見える。透明な、濡れた跡だけが、画面の中にゴシック体で残っていた。本当は生まれてからずっと、食事に薬を少しずつ盛られていて、徐々に身体を蝕んでいるのではないか。寝る度に毒を浴びていて、着実に正常性を失っているのではないか。そう考えるようになった。恐怖でなく、焦りだった。

世界は自分を攻撃している。穏やかな自責が続いた結果、弾けるような他責が生まれた。どちらも間違いだと思っている。どうすればいいのか、混迷の末にまた、自分は自分を騙すことを選んだのかもしれない。大袈裟かもしれないが、世界が本当に自分を溶かしてきた。苦痛の壺を抱えていたつもりが、いつの間にか裏返り、苦痛の壺に閉じ込められていたのだ。幻は意味を失った。

境遇の変化として、詩に出会った。自分を観測する自分の観測、本質の探求、感情の吐露......

その全てが緻密に文字に埋め込まれ、彩りを与えては夢を、延いては世界を語る。焼夷弾のように、徐々に魅力が自分に広がっていった。

自分の中の詩は、まだ始まってもいないと思う。まだ詩の自分と詩でない自分を分けている。生きる姿勢を自分に落とし込めていない。詩が浮わついている。こうして書いていても、時折、自分の字が歪み遊泳を始める。これも全て、世界が自分に仕掛けた、

最近、世界が自分である気もしている。自分が自分に攻撃している。

 

楽だ。自分は空虚だ。それにも限界がある。至る前に、滅ぶことをどこかで望んでいるのか。この文も、いつか辱めとして、苦笑いの中で迎えられる日が来るのだろうか。そうなる自分が見えない。器用になった自分が、寛容になった世界が。

今、暗い部屋で書いている。太陽が、たまに緑に見える。

これから、このサイトの更新を再開していこうと思っている。