車窓の中で跳ねる五線譜

僕が脳裏を表にして書くブログです。難しい文体でごめんなさい。

抜錨

誰もいない。誰もいないようだ。

かき氷の器を持つのが憚られる。

夏ってのはこんなに静かなものなのか。

蝉がいない昼が、こんなにも恐怖心を煽るのか。

じゃあ、また眠ろうか。

 

 

皆は、春と夏の間にどのような色を印象付けるのだろうか。

淡い青、空色、黄緑、群青、ビビッドピンク。

僕は藤色だ。

あの紫が、夏の始まりを感じる夜明けに思えるのだ。夜明けに暖かさを感じる瞬間が、最高に快適な夏だ。ただ猛暑を奮い、風情をでたらめに解釈した気分を下げる夏は強い太陽光であって、夏ではない。

そんな夏に独特の感情を抱く僕がこう文章を書いている今、窓の外から梅雨という耽美なクラシックが流れている事に気付く。雨は全てを動かし、全てを静止させる不可思議な事象だ。何と美しい。過去が満ちていく。水が流転する。僕が消費されていく。

 

 

夢を日記に記すと虚実の間を彷徨う事になる。結果、僕の妄想は徐々にMDMAのように飛躍したものに変貌を遂げることとなる。

 

ゴミ箱を見る。そのゴミ箱は人間の眼孔で、見たものの情報を捨てる事で脳に伝達信号を送り日常という昨日を消費し破砕していく機関なのだと考えてしまう。

盆栽を見る。彼は銀虫にとってのコロニーで、内部にはエレベーターとスパが完備されており、非常に快適。しかし水に弱い為、銀虫が好むスパを続けていると木が腐ってしまう、と考えてしまう。

鏡を見る。その先にあるのはテトリスの消えたブロック廃棄場と「私はロボットではありません」と確信を持てなかった自分の収容所が併設されており、その二つを統括しているショーウィンドウはショッピングモールの一角であり、消費者は定期的に地震を起こし地球の排熱を促す地盤マザーコンピューターである、と考えてしまう。

 

 

ここまで突飛な想像が溢れるようになった現実で、僕は僕を制御する術を持っているが故にこれを利用できている。では、パニックが僕を潰してしまったらこの発想達はどうなるのだろうか。現実に流入し、幻想の枠を破壊し世界の理をインスタント的手段で変えてしまうのか。僕の世界は僕のみであり、僕がいる限り僕という養分を吸ってその核廃棄物達は循環していると考えると、僕が潰れた場合、この発想は琥珀になる事もないだろう。

 

 

つまり、という言葉を用いようとしたが、要約を施したとしても難解なものだろうから使わない。

現実世界に僕は錨を下ろしていて、そこを外したり追加する事で発想のベクトルを自由に操作している。実に面白い。

 

 

だが、雨だけは、

 

どこまでも雨で、

 

だから僕の中で特別な存在なのだ。