車窓の中で跳ねる五線譜

僕が脳裏を表にして書くブログです。難しい文体でごめんなさい。

正偽

新年が明けたようだ。

だが、それがどうしたと言うのか。

我々は前進に内包されている一歩一歩に区切りを付けていない。区切りを付けているのは、前進ではなく進歩だ。我々はただ、一年という楽章を終えただけであって、生きるという前進を止めず絶え間なく吸収と排泄を繰り返しているではないか。まぁ、臍曲がりな解釈は誰も幸せにはしない。これくらいにしておこう。


明けましておめでとうございます。
先の文の後のこれでは皮肉にしか聞こえない。また文章の面白さに気が付けた。

それにしても、我々は時間に追われ過ぎだ。まぁ、人間だからこそ時間に敏感なのかもしれない。未知を語るべきではないな。数値、データ、情報情報情報情報情報……いやぁ参ってしまう。たまには頭を空にしよう。マインドウォッシュ、僕は週に2度、短時間でも瞑想に耽る事を習慣付けている。僕は情報を詰め込む事で落ち着けるのと同じく、情報をクリアにし感覚を隔絶するのもリラックス出来る。対極に思えるが、不思議な事にどちらも僕にはあっているのだ。僕の脳は他の脳を見る事が出来ないが、それでも異質な事は良く分かった。


祝賀の刻、僕達脳内の中で論点に挙がった事がある。


「ある場所に男がいた。男は正義のヒーローとして圧倒的な力で市民の害になる悪党を殺し続けた。市民は彼を心から信頼していた。だがある日、突如男は自殺した。何故か」


僕達は以下の7つの意見を出した。

『守り続ける事に疲れたから。守る自分を守る人間がいなかった』

『誰しもが悪になる可能性に気付いたから。悪党も元は市民で、守るべきものを殺す事に矛盾を覚えた』

『力を誇示する自分こそが悪だと思ったから。悪は殺す、だから自分を殺した』

『日に日に増える市民の期待に気を病んだから。自分は完璧じゃないから失敗した時に落胆されるのが怖かった』

『最愛の人を守れなかったから。身近な人すら守れない自分に絶望した』

『政府が彼の力を危惧して殺害したから。国家が揺るがされかねないと自殺に見せ掛けた他殺を実行した』

『死に鈍感になっていく自分を恐れたから。悪を殺す事に楽しさを覚えた自分が正義を名乗る事に疑念が湧いた』


この意見の束について議論は白熱した。正解はないが、ヒーローという存在について深く論じられる良い問いだと思う。

皆はどう思うだろうか?正義とは何か。
ロッコ問題とは異なった、理由を考える倫理。
人の為にする事が、はたして正しいのだろうか。