車窓の中で跳ねる五線譜

僕が脳裏を表にして書くブログです。難しい文体でごめんなさい。

洞穴

吉日、陽射しは葉を黄金に染め、露を神酒へと変える。排ガス管の振動、ダクトの回転音。着実に地球を冒していく我々の営み。その中で変わらず注がれる自然の微笑みが僕の心に引っ掻き痕を残す。五感を鋭く保ちつつ歩く僕の嗅覚を突如砂糖が誘惑する。ドーナッツの店。扉をくぐった。

ドーナッツの穴を論じる者がいる。一方でドーナッツの穴自体に目もくれず食べる者もいる。不思議だ。同一の存在でもそれが観測されるか否かでそれの価値は大きく変わる。観測を選択できる我々は、同時に観測されるものの価値を選別しているのだ。ともあれ、ドーナッツは美味だ。

この穴に卵は用いられていない。牛乳も、小麦もない。空っぽだ。この空が青であるように、この穴もドーナッツの反射かもしれない。甘さの中で、その妄想は虚へと消えていく。珈琲を口に含む。舌の感受が甘味から苦味に切り替わり、鼻腔に新たな風が流れる。この漆黒がカップの穴として、穴を消費して、なくしている僕は無から有を創る創造主となる。偉くなった気分だ。珈琲を嗜むだけでこう気分を昂らせる事が出来るのだから、今日も僕は呑気に生きている。

黒鉛を掘り出す人間は掘り出す際に黒鉛を多量に吸い寿命を縮めている。命を削り採掘された黒鉛は加工され芯として、筆記具として販売される。僕はそれを紙に擦って綴っては床に落としている。遠方で命が削られているにも関わらず、僕はそれを知らずに鉛筆を削るのだ。知らない事に価値を生み出すのは難しい。ドーナッツ然り、この鉛筆然り。どこかの誰かが作り、ここに届いたのだ。

全ては誰かの手で繋がれ紡がれている。僕も誰かに何かを届けなくてはならない。それがこの世界で生きる意味であり、人間、代替品の成す道なのだ。