車窓の中で跳ねる五線譜

僕が脳裏を表にして書くブログです。難しい文体でごめんなさい。

幻霧

比喩は人間だからこそ出来る術だとつくづく思う。僕は人間から逸脱した神秘的な美よりも煤けた俗的な身辺の美を欲している。距離が離れすぎては、凄いとしか表現できなくなる。賛美の為に発する言葉ですら汚泥に思えてしまう。言葉に浸かりきった僕からすれば温泉を出た途端に凍空に投げ出されるようなものだ。風邪どころか死んでしまう。


数珠のように徒然は続いていくのだが、そこには人間の形容や言葉遊び、行動における思考の一致が潜んでいる。言葉に親しむ身ともなると、こういった雑談ですら学術の目で覗いてしまう。困ったものだな。李徴殿。


ひけらかしはさておき、沖が見えてきた。霧の沖だ。カフェインを摂るのを忘れて、眠気の航海に出たのだ。流木がぶつかる。その都度、現実の虚構が眼前に広がり消えていく。僕は幼い、幼い夢を見ている。


白髪の女性がブランコを漕ぐ事なく座っている。齢三十程と見える。足元には黄色の風船が空気の入った状態で落ちている。女性は僕の親しい人のようで、遠いような捉えられない笑顔を振り撒く。僕は女性に話しかけたが、どう言ったかは覚えていない。彼女はこう言った。
「私の事愛してるって確認、する?」
「僕はいらないと思う」
「それも人の形。それぞれ」
「へぇ」
女性はバーボンを取り出す。
「飲まないね」
「飲まないです」
僕達は二人酒を酌み交わした。そこまでの記憶だ。
なんだこれ。夢に理論を持ち込んではならないが、冷静に文字に起こすとこの無秩序。だがあの空間が心地良いのは僕がそれを欲しているからなのだろう。愛とは、確認する、言葉によるものなのか。あの女性は、何を伝えたかったのだろうか。ここで綴っても答えは出ないが、僕が探しているものだ。何の例えなのだろうか。また、何かを探ろうとしている。あのバーボンの味を思い出させてくれ。