車窓の中で跳ねる五線譜

僕が脳裏を表にして書くブログです。難しい文体でごめんなさい。

無神

帰巣本能が働き、僕は味噌汁を欲していた。あの深みある味わい、染み渡ると表現できる料理はそう多くない。僕は味噌汁が注がれる器も好きで、あの小振りな背丈は僕の食事を円滑に進め、趣すら感じさせる。僕が味噌汁について話したのは、僕が海外旅行に行った経験を話そうとしているからだ。海外は僕の身に合わなかった。やはり、母国の料理は生きてきた時間のせいか身に合ってしまう。
さて、その旅行の行き先は天空の鏡、かの有名な『ウユニ塩湖』である。


見た人間は口々に、「生きてて良かった」「この世で見られる天国だ」と言う。
正直僕は旅行会社の売り文句に過ぎないだろうと甘く見ていた。天国と評する時点で過度な期待を引き起こす。その場所が優麗な空間であったとしても、神秘性を覚え生に喜びを感じるなど誇張としてもやり過ぎだと、臍曲がりだがそんな事を思っていた。


ウユニ塩湖がある場所は南アメリカに位置するボリビア。僕と僕の家族は標高3500mに存在する盆地、ボリビアの首都ラパスに着き、そこから飛行機でウユニ塩湖があるウユニ市へと移動した。既にウユニ市は僕らに天高く、蒼さを見せつけてきた。空虚、いや満ち足りた自然の圧力に多幸感を覚えた。だが、この感情は雪の季節の森林浴に似ていて、神秘というよりは荘厳に近かった。


だが、ウユニ塩湖は僕の想定を遥かに越えてきた。あれは、空だ。空だった。僕は空を歩いていた。3オクターブも上の空気の流れが微かに耳を撫でる。ウユニ塩湖の特徴は雨季、塩で固まった湖に薄く水が張ると空をそのまま鏡のように写す。それが地平の先まで続くのだ。周りには何もない。空と空、その狭間に僕らは漂着したのだ。


邪魔なもの、それが僕であるかのように思える。荘厳さは僕を圧倒するがそれはその存在が壮大過ぎて腰を抜かしてしまう程度のものであり、この鏡は存在にとどまらず、世界を体現しているように思えたのだ。

僕の頬には薄く涙が這っていた。嗚呼、懺悔したくなる。僕には初めて、偽りから解放された瞬間が訪れていた。空は陽の笑みを湛え、遠くの地の雲まで見せてくる。あれはまさしく、神のいない宗教画だった。


「生きてて良かった」僕の家族が言う。

僕は袖で顔を拭きながらその言葉を鼻で笑った。


「当然だろ。僕はこれを見る為に生きてきたんだ」