車窓の中で跳ねる五線譜

僕が脳裏を表にして書くブログです。難しい文体でごめんなさい。

歯車

ビル街はしきりに冬晴れを反射しては枯れ葉と共にセレナーデを奏でている。口渇感はそれに拍車をかけるように日々の時間を歪めていて、僕の黒い着こなしを咎めるように演奏はクライマックスを迎えるのであった。


一方僕に快活さは微塵もなく、環状運転に身を任せて人工の揺り篭の心地好さに甘えている。クラクションはない。だからこうして、また微睡む。反芻、黒白、繰り返して、この社会はがちゃりがちゃりと、もつれて回る歯車街だ。


僕の文がJ-POPのような汎用性を帯びていないのは、僕が常に今起こっている状況を観察するのではなく、その『背後にあるもの』やそれによって起こる『影響』、そうなった『経緯』にばかりに目がいく悪癖が大きく作用しているからだ。体が宙に浮くとはこの事で、どこか上の空の人間が地に足を着いているのとは異なり、僕は異世界に嬉々として没入する酔っ払いなのだ。


また慣性の法則で醒めた。到着出発を終わりと始まりと考えるのが人間だが、僕はただ運行するサイクルの一環としか思えないのだ。それは、ここが循環線だからというのもそうだろう。日の見える夜はまだ長い。光の歯車が瞼を覆い、冬眠の闇が脳を蝕む。抗い、僕は今日も学びに身を投げる。


僕の言葉が、どうか届きますように。手紙を込めたボトルを電脳の海に放つこの行為には、自戒のみならず僕の内的心情、感覚のコネクトを図る狙いもあるのだ。まぁ所詮適当な代物なのだが。


難しいなぁ勘弁してくれよ。僕の文はいつもこうなんだ。常に奥へ奥へと行こうとする。こんな僕を許してくれ。
さて、あと二駅、それまでしばし彼岸へと参ろうか。