車窓の中で跳ねる五線譜

僕が脳裏を表にして書くブログです。難しい文体でごめんなさい。

咀嚼

車窓には擦り傷のような雨の軌跡が貼り付いている。なるほどな、夜雨が僕に寒さを教えるとは、何たる親切か。上着を着たままの車内は暑過ぎる。面白い程に人間というのは気温にフラストレーションの振れ幅を左右されがちだ。かく言う僕も車窓の水煙で安堵の溜め息を溢すのだから、人間はこうも身近なものなのだ。


さて、今宵もココアが鼻腔をくすぐれば風情と言える時だ。時間も言葉も血液も人体を循環するものだが、食物は一つの道を通り、形を、清らかさを失い行ってしまう。実に悲しい。が、だからこそ食のありがたみは重厚なものとなっている。実は食物は人体を一過している訳ではない。失ったもの、それを体に遺し死んでいくのだ。


僕は味覚による幸福が最も感覚的かつ動物的なものだと考える。生殖は人間の脳が介在し、複雑性を増してしまった。やれやれ、この脳というものは創作の呪いによって様々な事象を複雑怪奇にしてしまうようだ。勿論、この文章もね。山彦は返ってこない。

脳の興
消し炭焼くは
魔の一叫

想像の、妄想の、映像の中の食事にどれだけの価値を持てるか?
僕はいつも考えている。騒々しい頭で、死の焦燥に追われながら創造している。何を?それは甘味だ。人生の道端で買える練り飴だ。
さて、雨が強くなってきた。道行く先で、何を食べようか。