破裂
僕は嫌いな人間がいない。
皆尊敬出来る好きな人間ばかりだ。
なのに僕は人間が嫌いだ。
どこまでも愚かで、考えて、知ろうとするから。
だから、自分も嫌いだ。
なのに僕は人間を見つめて、彩っては、面白がっている。
そんな自分を好んでいるから、人生を捧げようとしている。
人間は演じる事を常に生活の営みに組み込んでいると言うのに、僕はそれ自体を生活の営みにしようとしている。
さらに考えて、知ろうとする。愚かだ。嫌いだ。
僕はペットが嫌いだ。
何も考えず、知ろうとしない人間の様だから。
幸福が何かも死ぬ事が何かも興味がなく、ただ媚びて生きている。
だから嫌いだ。
従属と隷属は違う。野生がそのどちらにも優っているとは言えない。
ただ、僕は人間と異なった生物が人間に知性以外でアプローチを行なっている事に畏怖を抱いている。
だから嫌いだ。
そんな自分も嫌いだ。
誰かが言った。「考えず、知らなければ幸せになれる」僕もそう思う。
だから幸せになる為に馬鹿になる事にした。
何の意味もなかった。その言葉を知っている時点で、もう幸せにはなれない。
人間は『幸せになる為に生きると呪いをかける教え』を受けてきた。
その点で言えば、ペットはその呪いを受けていないと言える。
でも思考停止は人類が生物の頂点であると勝手に宣言しておきながら行う事としては間違っているとも思う。
こういったダブルバインドを受け取り続け、ついに僕は破裂した。
破裂した。
人間は不幸になるしかない。そうなる様に作られた。
順応は環境の変化に対応出来る素晴らしい機能として認知されるが、実際は幸福をゴールとしない為の大きな障害だ。
人間は幸福になる為に生きる。不可能な目標だ。フィクションの世界に対して指針を置いている冒険家が航海に出かけても世界の端から落下しない様に、摂理は壊さない限り変わらない。
この出来事に考えた結果辿り着いた僕は幸せになれない。自己完結した悟りは摂理ではないから、これは事実ではない。
また、破裂した。
僕は嫌いな人間がいないが、自分は嫌いだ。自分は人間ではないと思っているからだ。
だったら僕は新たな知的生命体?宇宙から飛来した地球外生命体?
否。人間である事は事実だ。不幸のまま、考え、知ろうとする愚かな動物だ。
僕は人非人でもない。非・人非人として斜に構え、こうして否定的意見を述べてみた。
結局、幸福の渇望は救難信号ではなく、負け犬の遠吠えに過ぎない。
だから嫌悪する。嫌悪して負の力を溜めている。それが漏れ始めた所で誰かが気付く。
誰かがその力に共感する日が必ず来る。
人間は不幸になるしかない生物なのだから。
共感は輪にはならない。
焚き火の様に燃える僕の遺体に客が集まって、その影がまた影を誘う。
僕はその影で何も見えなくなった視界の中で、焦げながら力を解放する。
徐々に火力と力は削れていき、ついには潰える。
それが僕の肉体的な死だ。
そして影は消えた火から去っていく。また一人、また一人と。
誰もいなくなり炭と灰塵になった時、精神的な死が訪れるのだ。
僕は今、力を蓄えて、ほくそ笑んでいる。
焼けた炭が割れて、破裂した。