車窓の中で跳ねる五線譜

僕が脳裏を表にして書くブログです。難しい文体でごめんなさい。

音色

僕はこのブログでよく自然について語るのだが、それは会話の始めとしてぎこちない「今日はいい天気ですね」とは異なる。僕はイギリス人ではない。移りゆくこの季節、変わりゆく環境と気持ち。それらを重ねつつ日々を認識しているのだ。自然も永久機構ではない。命故に物語がある。それをここに記すのだ。

 

 

格好つけてはみたものの、内容は至極くだらないものばかりだ。だが、僕にとってはかけがえのない存在である。時間と共にこれを僕だけでなく皆に拡散していきたいと野望の一片を語る。

 

 

金属の管が振動し、美しい音となって発される。些細だが僕はその仕組みに感銘を受けていた。金属製の柵に木の棒を押し付け走るとトタン屋根に当たる雨のように連続した細かな音が鳴る。少年の頃の記憶が蘇る。あの頃の匂い、秘密基地を思い描いた一瞬の想像力、全てセピア調だ。それも終わり、若さは日に日に消えていく。僕がこれを綴っている今ですら、いつか来る死に近付いているのだ。

 

 

あの蝉の声が妙に鬱陶しく感じた長い道を久々に歩いてみると自分の視点の高さと歩幅の大きさに驚く。記憶と今とが噛み合わず、時間軸の揺らぎから来る乗り物酔いに襲われる。僕は昔友達と作り上げた秘密基地の場所へと向かっていた。公園の裏、自然が生い茂り傾斜のきつい山の中でも比較的緩やかで穏やかな陽射しが心地良かった。その場所に近付くに連れてバイタルが上昇する。残っていないのは知っている。それでも期待が止まらない。

 

 

辿り着いた。長い旅の終着点。大袈裟かも知れないがそれに似た達成感を覚える。何もなかった。何も。残っていない。匂いも、陽射しも、木すらも消え、あの頃を否定されていた。落胆した。分かりきっていた事だが、それでも微かに悔恨の念を抱く程には僕の身は締め付けられた。ふと目に止まったのは、あの頃必死になって乗り越えた金属の柵だった。その小ささに呆気に取られ、次の瞬間には僕の口角は上がっていた。楽々乗り越えた後、柵の質感に「おかえり」を言われたような気がした。呼応するように落ちている木の棒を柵に充てがう。

 

 

僕は走り出した。あの頃を回収するように。今は亡き木々を弔う為に。僕は走った。連続する音。美しかった。甲高く、優しく、短く、淡い音色。僕の純朴は奪われた。この言葉の群れ、理論理屈常識社会。僕はあの頃のように秘密基地を瞬発的に思い描けない。その事実が鳴り続ける音と共に僕をしめやかにする。