車窓の中で跳ねる五線譜

僕が脳裏を表にして書くブログです。難しい文体でごめんなさい。

消去

誇り高く、誇り高く!拳と声を高らかに!証を見せよう!我々は生きている!我々は空の青さを知っている!我々は歌を歌える!誰かの為に涙を流せる!我々は強者に屈しはしない!我々は真を語りはしない!救済に祈りを捧げたりはしない!進むのだ!進むのだ!前へ!前へ!

 

 

青空の下、未知のウイルスによる感染症で、何人もの人が道端に倒れている。その手を踏みつけるように、スーツの人々は行進を続ける。ガスマスクを着け、無機質に笑う彼等は自分達を、誇り高く、生死に縋らぬ戦士と説いた。このマスク一つ外せば死に至る。その事実から逃避し、この行進は武器も無く続けられている。穏やかな午後の日差しの中、風はいつも通り、死体の上を通り抜ける。病院は腐臭の海だ。道路は車の山だ。このコントラストを指枠で囲い、心の中のフィルムに納め、僕は思う。生き残った僕ははたして幸せなのだろうか、と。

 

 

どうでも良いか。はい、こんにちは。久しくブログを更新していなかった事、お詫び申し上げます。まぁ閑古鳥も巣を作って落ち着いている所に水を差すのも無粋ですし。ぼちぼち、また書いていきます。

 

 

死にたい、と良く文面で見かける。何かなと思い覗くと辛い事への嫌悪感の意思表示だったりする。だが、本当に死にたい時には、死にたい、というよりは消えたい、が先行する事に最近気付いた。なかった事になりたい、すっと消えてしまいたい。この欲望は実に美しいと、退廃的かつ自然美に鋭い僕の目が捉えた。死は消失ではない、これは真理だろう。何かを追いかけ、ここに来た。

 

 

あなたの、夢を教えて。誰かの声に僕は笑顔で返した記憶がある。それは将来の夢と言った煌びやかなものではない。あの言葉の夢には、もっと白く濁った、死の匂いがしていて、現実が見せる夢、夢が見せる夢とは異なった、人間が見ているはずが目を背けているものに近い意味合いを持っている気がする。まぁ、それは記憶であって、不明瞭なイメージの産物であるから、その時点で現実が見せる夢ではないのだが。夢は、消失してしまう。泡沫の如く。ランタンを指で鳴らした事はあるか。グラスは。机は。そう、童心は、役割を拭い去る力を持つ。ランタンは照らすもので、グラスは注いで飲む為に使う、机は物を置いたりする。それだけではない事を知っていても、役割に落とし込み、安定に満足しているのだ。際限を作り、世界を構築する、これが現実に成り得る。

 

 

青空の下、拳を高らかに上げ、僕は叫ぶ。

 

 

「僕は今までを、ファイルを消去します!ゴミ箱を空にはしません!絶対にしません!いつか元に戻す時が来ます!消去したものを、復元し、呼び起こす時が来ます!それまでは、この生にさようなら!そして、僕は無垢を拒みます!新たな生が無垢であっては、誰がゴミ箱を憐れむ事が出来るのでしょう!」

 

 

遠方の黒雲が、光と共に響く拍手を奏でた。