車窓の中で跳ねる五線譜

僕が脳裏を表にして書くブログです。難しい文体でごめんなさい。

一人

湿り気を微かに残すコンクリートを前に、大きく息を吸い込んだ。

食卓にはピザのような脂っこく人懐っこい匂いが残っていて、美味を感じつつも反応は取らない、静かな食事の時間が真夏の風鈴の照り返しの様に次々と瞼の裏に溶けては消えていく。

 

 

ここ最近、外に出る人間は減った。蔓延した不安、正体の見えない汚染因子、止め処ない玉石混交の情報。いつか、僕はそれらを歴史として振り返る。その時の自分と、今こうしてベランダに出る事に迷う自分とは何が違うのだろうか。

磨いたコインを手癖で片手間に弄りつつ、暁とカラスの調和を眺めていた。

 

 

しばらくして、僕は渇きを覚えた。

喉ではない。娯楽の光だ。祭囃子だ。何処か皆、守る事が大切だと盲信し、自分自身に蓋をしている。確かに、体を守る事は命を守る。しかし、心はどうだろうか。

守る為に、光が排斥されつつある。圧迫された人類が心の渇きを逃す為に生み出したのは歌だ。踊りだ。信仰だ。

現社会、及びパンデミック下の環境において信仰は得策とは思えない。

皆が適切に距離を取り、電脳を通じて手を繋ぐべきだと、僕は気持ちを綴ってみる。

とはいえ、これも試験問題の筆者の気持ちを述べよといった形式に似ていて、我々が答えを知り得るはずがない。

何が正しく、どうあるべきかなど、一個人が語れる程、『一人』は強くないのだ。

 

 

で、僕は春だというのに凍風を吹かすこの空に歌を焚べている。皆、不安なのだ。

釈然としない。誰が自分に害を及ぼすのか、分からない。皆、未知を恐れ、他人を背景ではなく”他人”だと認知している。

口笛は遠く、淡桜は噎せる。新月を見たいと、強く思う様になった。

誰のせいでもない。だから、僕は怒らない。今起こる事が後の祭りになろうとも、僕はその後に待つ祭りに思いを馳せよう。

 

 

人類は、戦う事を選んだ。だが僕は戦わない。服従せず、少し斜に構えて寝床の天井を眺めながら歌う。この空気の中、同じ様に誰かが僕とは全く違う歌を歌っている事を信じて、僕はその人に向かって不器用ながらエールを送る。

 

 

これが僕の答えだ。一人だから、一人でも大丈夫と、

声を出したい。