車窓の中で跳ねる五線譜

僕が脳裏を表にして書くブログです。難しい文体でごめんなさい。

正偽

新年が明けたようだ。

だが、それがどうしたと言うのか。

我々は前進に内包されている一歩一歩に区切りを付けていない。区切りを付けているのは、前進ではなく進歩だ。我々はただ、一年という楽章を終えただけであって、生きるという前進を止めず絶え間なく吸収と排泄を繰り返しているではないか。まぁ、臍曲がりな解釈は誰も幸せにはしない。これくらいにしておこう。


明けましておめでとうございます。
先の文の後のこれでは皮肉にしか聞こえない。また文章の面白さに気が付けた。

それにしても、我々は時間に追われ過ぎだ。まぁ、人間だからこそ時間に敏感なのかもしれない。未知を語るべきではないな。数値、データ、情報情報情報情報情報……いやぁ参ってしまう。たまには頭を空にしよう。マインドウォッシュ、僕は週に2度、短時間でも瞑想に耽る事を習慣付けている。僕は情報を詰め込む事で落ち着けるのと同じく、情報をクリアにし感覚を隔絶するのもリラックス出来る。対極に思えるが、不思議な事にどちらも僕にはあっているのだ。僕の脳は他の脳を見る事が出来ないが、それでも異質な事は良く分かった。


祝賀の刻、僕達脳内の中で論点に挙がった事がある。


「ある場所に男がいた。男は正義のヒーローとして圧倒的な力で市民の害になる悪党を殺し続けた。市民は彼を心から信頼していた。だがある日、突如男は自殺した。何故か」


僕達は以下の7つの意見を出した。

『守り続ける事に疲れたから。守る自分を守る人間がいなかった』

『誰しもが悪になる可能性に気付いたから。悪党も元は市民で、守るべきものを殺す事に矛盾を覚えた』

『力を誇示する自分こそが悪だと思ったから。悪は殺す、だから自分を殺した』

『日に日に増える市民の期待に気を病んだから。自分は完璧じゃないから失敗した時に落胆されるのが怖かった』

『最愛の人を守れなかったから。身近な人すら守れない自分に絶望した』

『政府が彼の力を危惧して殺害したから。国家が揺るがされかねないと自殺に見せ掛けた他殺を実行した』

『死に鈍感になっていく自分を恐れたから。悪を殺す事に楽しさを覚えた自分が正義を名乗る事に疑念が湧いた』


この意見の束について議論は白熱した。正解はないが、ヒーローという存在について深く論じられる良い問いだと思う。

皆はどう思うだろうか?正義とは何か。
ロッコ問題とは異なった、理由を考える倫理。
人の為にする事が、はたして正しいのだろうか。

繭糸

僕の世界を展開すると大抵怖がられるのでここに書く事にしている。住み分けの配慮だ。自分語りのサーカスにも多少の演出や雰囲気変えは必要だろう。僕の世界が色濃く分かるのは夢日記なのだが、今回もそれに書かれた出来事(実の所、単語や簡易な文の集合体なのだが)それを補完しつつ綴っていこうと思う。


サーモンピンクの夕日、まさしくカクテルの様な鮮やかで厚ぼったい空模様に僕は溜め息を溢す。火力発電所の煙突が幾層にも重なり、航空障害灯が、朱を強める空に劣らず明滅している。立ち上る煙は天の川の様に拡がり星の観測を妨げる。断続的な薄い金属音がして、視線を目下に移すと足元に鉄パイプが転がってきた。すぐ横を傘売りの少年が煉瓦の並木通りを歩き、歌を口ずさみながら去っていった。


真新しい歯車や、定期的に打ち水を行う競走馬をガラスに閉じ込めた街宣車が低速で車道を走行している。僕はゆっくりと歩みを進め、夕日で色褪せた並木通りを見て回った。燦然とした煉瓦の群れを踏むのは勇気のいる事だったが、徐々にその感覚も和らいできた。スプレー売りの露店を捉えた僕はそこで『紀州梅』を購入し、口内に塗布した。味は覚えていないが悶える程に強い刺激だった事は記憶している。クロマグロが樹木の上を尺取虫の様に這い、風は悪戯に僕から退屈を盗んでいく。歪な杖をつき、冬服のパッチワークを纏う女児が僕の背後に何かを貼り付けながら話し掛けてきた。

「これからだよ」
「」(覚えていない)
「はじまるから、これから」

あとの女児との会話は覚えていないが、女児はしきりに”これから”と僕に伝えてきた。その時は何がこれからなのだろうと思っていたが、すぐにその疑問は解消した。いや、既に僕はその答えを知っていたのかもしれない。目を覚まして現実に戻った僕はそう考える。


背後に何を貼ったのかは知らない。並木通りは歩幅通りに動く。夕日は朝日に変わり、夕日と喧嘩して夜になった。何座かの流星群だ。ベレー帽を被った体長2m30以上はある四足歩行のノッポが僕と同じ方向に向かい歩いていた。脚は異常に細く、動きは鈍い。マットスプリングが軋むような音を鳴らしながら関節が動いている。ふとノッポが振り返る。目はエレベーターの開閉ボタンで、口には楽器ケースがぶら下がっている。形状から考えてホルンだろう。

「」(覚えていない。多分声をかけた)
「これからショーに出るんだ」
「へぇ。楽器を演奏するんですか?」
「朝が来る」

ノッポは動きに反して急いだ様子だった。僕は彼をどうする事も出来ず、その場を後にした。
どこかのオペラハウスに到着した。外観は良く覚えていないが、海鮮系の甲殻を模していたという記憶が薄く残っている。厳重な手荷物検査の後、水中に潜ると大ホールに到着した。オーケストラがラの音で調整を始めていた。僕は柔らかい席の中で心地好い旋律と共に眠りについた。


今思えば、あのノッポを押してあげるべきだった気がする。

開封

深紅のハイヒール、言葉に詰まる意思表明を僕は毎夜空に書く。明らかに僕は自若過ぎる。少しは表現の曇り眼の危機感を嚥下しても良いものの、どこか僕は出来ると思ってしまう。おめでとう。僕は晴れて道化の師として道化に拍手を送れるよ。まぁ、自虐はこれくらいにしておいて、トーストにママレードを塗る朝を終えようか。


悲しみを悲しくなったとそのまま書くのは不粋だと僕は常々思っていて、常日頃の自分の興じる心情が「楽しかったです」で片付くのも許せない。作文用紙が踊る程、僕は自己心情を書くのが得意で、それを武器と出来る事を誇りに思っている。


イヤホンの絡まりを疎ましく思う人間の腕の動きを観察し、事細かく言葉で描写していく。世界は一瞬動きを止め、僕の為に歩幅を合わせてくれる。毎日、毎日だ。僕は文字を書いて読んで覚えて発して奏でて考えて見て感じて伝えて苦しんで楽しんで悲しんで悶えて辛くて辛くて、でも、綴る事をやめないのは僕がその真価に可能性を感じているからだ。


時折強く感じる目の乾き。背中の筋肉に力を入れ、伸びをする。目を軽く擦り冷蔵庫を開ける。僕が手にした缶のカクテルは手から素早く眠気を吸い込んでくれる。それを飲むという事は、眠気の反芻を行おうとしているのだ。不思議な事に、僕の舌は目の前の甘味に気を取られ言葉を発する事を忘れているらしい。多くは語らないで、一休み。さぁ、夜景は幕で遮ろう。
缶を開け放つ。果実の香りが夜を彩る。


今日も今日がやって来た。僕は意思表明をする。

僕はこんな文字を、言葉を飲みました。こんな文字が体を循環して、こんな言葉を吐きました。

そしてゆっくりと明日を信じ、今日も視覚の劇は終幕を迎えるのだった。
缶は開け放たれた。幕間の光が朝を彩る。

沈没

開いた単語帳を臍辺りにもたれさせ、車窓から流れるトンネルの黒を眺める高校生。楽器を背負い、厚手のコートの毛玉を取っている。青春とは、一人でも成立しうる。それは、情景が引き起こす輝かしさの魔力でもあり、僕の羨望なのかもしれない。


『うつせみ』は、『空蝉』とも『現身』とも読める。漢字の面白い所だ。片方はセミの脱け殻。虚無、死、解脱を意味する。もう片方は現実の身体。充実、生、存在を意味する。この両極が一つの言葉という枠に入り収まっているのだから不思議なものだ。首を傾げた標識をくぐり、僕は『せいしゅん』の読み方を探していた。
穴の空いた船のように、ゆっくりと僕の身体は重くなる。僕自身の過去は、僕を拒絶する。僕が過去を忘れても、過去は僕を忘れないのだ。


清く、瞬くように過ぎ去るあの時間。だが取り戻す事は叶わない。気付く為の目を潰された僕に勝ち目はないのだ。思えば、僕が一日に笑う量は人よりも多い。しかし、心からの笑いは一つか二つだろう。では普段のものは愛想笑いかというとそうではない。僕の心の笑いは煤けており、他と価値を異にする。それに安定しない。一定に自分を保つ為にはこれが必要なのだ。


『やじろべえが哲学書を読むとバランスを崩してしまう』
これは僕のジョークだ。
まぁ、つまりはそういう事だ。
人の青春というものは大味な感情ともどかしさ、瑞々しさに潜む不器用さで表せる。心から笑える日々、楽しさが僕に足りていれば、多分このブログ自体存在していたかどうか怪しい。


負の遺産なのだ。ここは。僕が闇を抱え、それと向き合い、新たに明日へと歩みを進める。その過程としてこの譜面は同伴している。ここに綴る言葉の読み方を、誰もが理解しているとは思えないが、誰もが理解出来るように書くのも違うと僕は思う。
冬木立。嗚呼、肌が錆びる。人の携帯電話を覗き込むように僕は遠くにそびえるノッポのビル達を眺める。


春が来ても、青くはない。透明で、いつも通りの淡い緑だ。死にたくないと動物達が鳴き、僕はそれに応える事も出来ず、相も変わらず『あい』を探す。

独奏

僕が良く考える事を話そう。
マックナゲットで余ったソース、納豆のカラシ、寿司のわさび。それらが冷蔵庫の奥深くにしまわれた時間の話だ。

誰かには必要とされていて、誰かには不要とされる彼等。消費か埋没のどちらかしか叶わない悲しい存在だ。これは創作作品においても同様である。僕のこのブログが凡作で、ネットの荒野の砂一粒として漂い見つけられないのは埋没の道を辿っているからだ。


だが、消費する人間がいるのも確かだ。この存在が今尚食卓に現れるのはそういった人間に向けてのサービスなのだ。だから、僕は見てくれている人間に向けてサービスを欠かせない。

じゃあ文を簡単にしろよ。
これを僕として、食べてくれないか。


誰もいない街を歩き、小気味良くフィンガースナップを利かせる。孤独を感じない僕の脳には万物を鑑賞する眼があり、それを用いこの景色を非日常に塗り替えてしまう。さて、木の棒でも探そうか。童心ではない。楽しむ事を恐れていないだけなのだ。生きる事に必死になれば、楽しむ隙すらない。悲しい事に、日本は享楽の大切さを認知できていない。


アニメ漫画文化と国が売ろうが、肝心の本国の消費者がこの様では享楽に磨きをかけるのは難しい。演劇や美術に関してもそうだ。もはや、日本は後進国ではない。老朽国だ。文化の遅れも甚だしい。


僕はこういう事を言いたかったわけではないのだ。要するに、皆、楽しむ事に貪欲でなくてはならない。僕はこのブログを書くのを楽しんでいるし、実際楽しさを求め、楽に生きる道を外れ修羅の道を選んだ。後悔はない。楽しければ良い。退屈な時間を微睡むくらいなら死んだ方がマシだ。だから、『何か』があるこの空間で楽しみたい。


手頃な木の棒を見つけた。金属の手すりに打ち付けリズムを刻む。夜の街は人の手が入っているにも関わらず人の気配を見せない。面白い空気だ。適当に鼻歌を囀ずりながら両手に持った木の棒を手すりやブロック塀に打ち付けていく。誰も見る事のない路上ライブだ。
さぁ、愚鈍な道化に拍手を送ってくれ。それに見送られ僕は修羅へ旅立とう。

咀嚼

車窓には擦り傷のような雨の軌跡が貼り付いている。なるほどな、夜雨が僕に寒さを教えるとは、何たる親切か。上着を着たままの車内は暑過ぎる。面白い程に人間というのは気温にフラストレーションの振れ幅を左右されがちだ。かく言う僕も車窓の水煙で安堵の溜め息を溢すのだから、人間はこうも身近なものなのだ。


さて、今宵もココアが鼻腔をくすぐれば風情と言える時だ。時間も言葉も血液も人体を循環するものだが、食物は一つの道を通り、形を、清らかさを失い行ってしまう。実に悲しい。が、だからこそ食のありがたみは重厚なものとなっている。実は食物は人体を一過している訳ではない。失ったもの、それを体に遺し死んでいくのだ。


僕は味覚による幸福が最も感覚的かつ動物的なものだと考える。生殖は人間の脳が介在し、複雑性を増してしまった。やれやれ、この脳というものは創作の呪いによって様々な事象を複雑怪奇にしてしまうようだ。勿論、この文章もね。山彦は返ってこない。

脳の興
消し炭焼くは
魔の一叫

想像の、妄想の、映像の中の食事にどれだけの価値を持てるか?
僕はいつも考えている。騒々しい頭で、死の焦燥に追われながら創造している。何を?それは甘味だ。人生の道端で買える練り飴だ。
さて、雨が強くなってきた。道行く先で、何を食べようか。

無駄

無駄、その言葉は現社会において多用される傾向にある。その場面も様々で効率化を求めるムーブメント、雑談や悪あがき、惰性や過度な足し算の美学、二重敬語、政治家が行う無能采配。本当に様々だ。だが、ここに経験が入っている事に僕は異議を唱えたい。


実の所、僕は文を良く書くが、本を人並みより少し読む程度なのだ。これは執筆する人間にしては少な過ぎる。その分僕は辞書を読んでいる。詩や駄洒落、言語文化の分析を嗜んだ。後者に関しては文を書くという行為に対して直結するものではない。しかし、これを無駄と評するのは違う。確かに、やり始めた頃はこれが役に立つ等微塵も思っていなかった。だが、今それらは僕の文を彩る大切な画材となっている。


無駄について書いたが、これと最も親しみがある言葉は時間である。僕が今こうやってブログを書いている時間を、ある人間は無駄と説くが、僕は指を振り否定する。これを書いた事で少なくとも、僕の文章はブラッシュアップされた。初期の僕より一段、皆の『面白い』の琴線に近付けたと実感している。
最終的に、僕の文がその弦に触れて良い調べを響かせる事が出来れば御の字なのだが。


まぁ無駄な展望は良しとしよう。未熟者の僕がふんぞり返るのは読者から見ても好ましくないだろう。僕はいつも通り、拙い自分語りのサーカスを繰り広げよう。


僕は今日を無駄な日と思った事はない。と言ったら嘘になる。が、その日を幸せだと思える自分がいる。だから、洗練された無駄のない無駄なのだ。
僕は自分の創造力の糧として遺書を書く事にしている。過去の僕、死んだ後の僕、今の僕の心情を綴ると自分を見直せるのだ。
これは皆も試してみると良い。最初はかなり精神的に参ってしまい無駄だと思うかもしれないが、文の練習と自己分析を同時に行えて、創作活動に非常に刺激を与える機会になるだろう。

無神

帰巣本能が働き、僕は味噌汁を欲していた。あの深みある味わい、染み渡ると表現できる料理はそう多くない。僕は味噌汁が注がれる器も好きで、あの小振りな背丈は僕の食事を円滑に進め、趣すら感じさせる。僕が味噌汁について話したのは、僕が海外旅行に行った経験を話そうとしているからだ。海外は僕の身に合わなかった。やはり、母国の料理は生きてきた時間のせいか身に合ってしまう。
さて、その旅行の行き先は天空の鏡、かの有名な『ウユニ塩湖』である。


見た人間は口々に、「生きてて良かった」「この世で見られる天国だ」と言う。
正直僕は旅行会社の売り文句に過ぎないだろうと甘く見ていた。天国と評する時点で過度な期待を引き起こす。その場所が優麗な空間であったとしても、神秘性を覚え生に喜びを感じるなど誇張としてもやり過ぎだと、臍曲がりだがそんな事を思っていた。


ウユニ塩湖がある場所は南アメリカに位置するボリビア。僕と僕の家族は標高3500mに存在する盆地、ボリビアの首都ラパスに着き、そこから飛行機でウユニ塩湖があるウユニ市へと移動した。既にウユニ市は僕らに天高く、蒼さを見せつけてきた。空虚、いや満ち足りた自然の圧力に多幸感を覚えた。だが、この感情は雪の季節の森林浴に似ていて、神秘というよりは荘厳に近かった。


だが、ウユニ塩湖は僕の想定を遥かに越えてきた。あれは、空だ。空だった。僕は空を歩いていた。3オクターブも上の空気の流れが微かに耳を撫でる。ウユニ塩湖の特徴は雨季、塩で固まった湖に薄く水が張ると空をそのまま鏡のように写す。それが地平の先まで続くのだ。周りには何もない。空と空、その狭間に僕らは漂着したのだ。


邪魔なもの、それが僕であるかのように思える。荘厳さは僕を圧倒するがそれはその存在が壮大過ぎて腰を抜かしてしまう程度のものであり、この鏡は存在にとどまらず、世界を体現しているように思えたのだ。

僕の頬には薄く涙が這っていた。嗚呼、懺悔したくなる。僕には初めて、偽りから解放された瞬間が訪れていた。空は陽の笑みを湛え、遠くの地の雲まで見せてくる。あれはまさしく、神のいない宗教画だった。


「生きてて良かった」僕の家族が言う。

僕は袖で顔を拭きながらその言葉を鼻で笑った。


「当然だろ。僕はこれを見る為に生きてきたんだ」

品格

ブランチの刻、僕は抱腹し、食欲の高まりを感じていた。まぁ僕は少食だから、この欲も少しの咀嚼で消えるのだが、そういった飢えにここまで強いのは考えものだ。


僕は何を思ったのか高級を体現した街路に来ていた。いや、実に空気の入れ換えが上手い。これほどまでに気品の大気汚染が発生しているなら道行く人間にも少なからず影響を及ぼしているだろう。僕がその一員になりモデルばりに闊歩をキメて非日常に溺れる自分に酔うのも一興だが、生憎僕は常に日常を非日常と観て嗜む物好きなもので、歩くこの一瞬ですら感覚の鋭さに波が出来る。故に疲労を覚える事も多々ある。


カカオの芳醇な香り。ここはショコラトリーか。趣のある角張った黒の壁。表面は滑らかで雨水を弾きそうだ。僕の腹を満たすにはこれくらいが丁度良い。僕は曲線が温かい木製の扉に手をかけた。撫でるように手すりを引くと香りは一層強さを増した。嗚呼、異世界だ。ここが舌の遊郭か。


高価だなぁ。いやぁ僕の財布には堪える。宝石店が用いるような小振りの値段立てに肝が冷えるが、僕は腹を満たしに来た事も忘れ舌を癒す事に全力を注いでいた。目に止まったのは赤銅色の角が取れた直方体だった。説明を聞くとこれは木苺の酸味を閉じ込めたベリー系カカオを使用した味わい深いガナッシュだそうだ。あ、そうか。ここはショコラトリーだった。つい美術品を眺める姿勢を取っていた。


僕はそれが入った小さな箱を一つ購入し、少し歩いてデザイナーが手掛けた事が一目瞭然の公園の芝生に行き、木陰を探した。
手に取り、眺める。感嘆。齧るべきか悩む程の造形美だ。一口でいこう。僕は舌の中腹に宝石を置き口を閉じた。ゆっくりと溶ける甘味。その刺激は一瞬で位の違いを見せつけてきた。至福。それに尽きる。


他にもチョコ、まだあるんだよなぁ。お目当てのガナッシュの鮮やかな果実の贅沢を浴びながら箱の宝石達を鞄にしまった。上品な甘さのせいか、夢見心地だ。

歯車

ビル街はしきりに冬晴れを反射しては枯れ葉と共にセレナーデを奏でている。口渇感はそれに拍車をかけるように日々の時間を歪めていて、僕の黒い着こなしを咎めるように演奏はクライマックスを迎えるのであった。


一方僕に快活さは微塵もなく、環状運転に身を任せて人工の揺り篭の心地好さに甘えている。クラクションはない。だからこうして、また微睡む。反芻、黒白、繰り返して、この社会はがちゃりがちゃりと、もつれて回る歯車街だ。


僕の文がJ-POPのような汎用性を帯びていないのは、僕が常に今起こっている状況を観察するのではなく、その『背後にあるもの』やそれによって起こる『影響』、そうなった『経緯』にばかりに目がいく悪癖が大きく作用しているからだ。体が宙に浮くとはこの事で、どこか上の空の人間が地に足を着いているのとは異なり、僕は異世界に嬉々として没入する酔っ払いなのだ。


また慣性の法則で醒めた。到着出発を終わりと始まりと考えるのが人間だが、僕はただ運行するサイクルの一環としか思えないのだ。それは、ここが循環線だからというのもそうだろう。日の見える夜はまだ長い。光の歯車が瞼を覆い、冬眠の闇が脳を蝕む。抗い、僕は今日も学びに身を投げる。


僕の言葉が、どうか届きますように。手紙を込めたボトルを電脳の海に放つこの行為には、自戒のみならず僕の内的心情、感覚のコネクトを図る狙いもあるのだ。まぁ所詮適当な代物なのだが。


難しいなぁ勘弁してくれよ。僕の文はいつもこうなんだ。常に奥へ奥へと行こうとする。こんな僕を許してくれ。
さて、あと二駅、それまでしばし彼岸へと参ろうか。

食器

二択を外し続ける気持ちが理解できるだろうか。

僕の身体は自由が利かない。僕だけじゃない。それは分かっているが、運動の感覚、それのみならず認識においても不自由を抱えている。

左と右、その違いは何だろうか。何をもって左とするか、右とするか。僕は分からなくなる。文化的常識の範疇で左右が決まっていて、それに従っている。だが、夜の闇、机に突っ伏す僕を平衡感覚の崩壊が襲う。

 

 

利き手というもの。僕は箸やハサミを感覚的に握っている。そこに右も左もない。虹はどちらからどちらに向けてかかるのだろうか。そこに秩序が存在するようには思えない。と言うのも、それは人間が観測する上で、感覚で認識を行い、それに理論をはめているだけなのだから。不思議な話だ。

 

 

踏切の赤が交互に明滅する。瞬きはこうして景色と闇の幕との交差が行われていて、僕達は闇の幕に対して一切の意識を向けない。目を閉じるという行為によって初めてそれを認知するのだ。肘笠雨が僕を襲い、近くの食器店に僕は吸い寄せられた。ショーウィンドウの照り返しに絆されて眺めてみると、そこには白亜の磁器が微笑みを湛え待っていた。

 

 

その中の一つに、僕は目を奪われた。新緑とは名高い言葉である事は知っていた。それ程までに美しい葉を僕は見た事がなかったのだ。透き通るような翡翠の葉脈が単の雪原に命を灯し、円形の磁器が艶やかに鎮座しているのだ。円に方向はない。僕は抱擁の温かみを帯びたその器を購入していた。縁に這うように蔦と葉が通っていて、その凹凸が僕の皮膚を通って価値を伝えてくる。

 

 

箱に包装され、ビニールの手提げに入れられた可愛げのある食器は、僕のものになった。これから、彼は僕の家で時を過ごすのだ。出会いとは、唐突で、鮮明で、揺蕩としている。

鎮魂

旅する老婆、水が浸るバスに座って煙草を吹かす蛙。

そう、僕の眠りが生む世界は無秩序で、どうしようもない。水に溶けていく墨を掴もうとしている。これが、僕の深層描写、表現思考の核である。

 

 

夢についてはまだ語りきれていない。所謂先から続く夢日記シリーズである。実の所、書きやすい内容でありながら、僕のブログの雰囲気や文体と合っているのだ。書いていて心地良いのでもう少し、続けていきたいと思う。この夢も体調を崩した時に見た夢だ。

 

 

僕は路地にいた。レンガの壁に煙るネオンの誘いが僕の視界を貫く。あの色は、夏空の小麦に似ていて懐かしさと胸の締めつけを想起させた。僕が誘導灯を持って隊列を組む幽霊を案内しながら路地を抜けるとそこには近未来の建造物が建ち並ぶサイバネティクスに富んだ銀座だった。空は白く天の川が良く見える。飛空挺が行き来し、オレンジコーラを販売する移動式の屋台が僕の背後の道路を通過した。

口笛を吹くと信号機が予約を承り車両に向けて赤信号を放った。横断歩道は磨りガラスで出来ており、白線を踏み外せば下層に落ちてしまう危うさがあった。連れていた幽霊が何人か落ちたがドローンによって釣竿で救出された。僕はそれを見て安堵した事を覚えている。

 

 

僕達が向かったのはそこからしばらく行った流線形の建物だった。色は確か薄い黄緑、所々に地平を引くように朱色の回路が巡っていた。僕が金属で出来た自動開閉式の扉をくぐるとそこにはビュッフェ形式のレストランが広がっていた。幽霊はすーっと各々席に座り食事を始める。僕は役目を終えたのか建物を出て誘導灯を折った。近くの黒電話を触り誰かと話すと、横のモニターから人が出て来て直に現金を手渡された。幾らかは覚えていないが、小銭をじゃらりと、普通のアルバイトの日給にしては明らかに低かった記憶がある。

ふと後ろを振り返ると建物は燃え盛っていた。涙と線香の匂いがした。夢は大抵嗅覚の記憶を棄ててしまうのだが、これだけは鮮烈に髄に染みていた。

 

 

僕はその現金で食事をしようと下水道にある人気の飲食店に向かった。銀座と汐留の間にある下水道には行列の出来るジャズバーがあって、そこに一度行ってみたいと僕は思っていたようだ。店に入り現金を渡すと店員に大層驚かれた。現金自体、珍しい高価なものらしい。僕はそこで青いワインとタイガーアイの姿をしたナッツを注文して妖艶な食事を楽しんだ。演奏は覚えていないが、泣ける熱い音色だった。窓はなく分からなかったが、外は雨が降り始めていた。鎮魂の雨だ。

青風

朽ちてなお朽ちる日々に惚けて生きてきた僕が今巣から旅立とうとしている。この響きにおいて良い印象を抱かない人間が僕以外にもいるだろう。それは不安定、崩壊、知らなかった支援の形を認知し、日々という秩序の保持に割かれる労力を実感する事になる。


前回夢について書いたが今回も夢について書こうと思う。といっても先のものとは別になるが。
前回のあれは酷かった。起きて泣いた。無力だったなぁ僕。


僕は電車に乗っていた。向かいの席には鞄を抱え眠る会社員とスマートフォンの画面に顔が吸い取られているOLがいて、僕はそれをスケッチで描いている最中だったようだ。窓の景色は青緑で残虐的に、鮭の群れが泳いでいる。人工衛星の漂流物が電車の屋根に当たり鈍く車内が揺らぎ唸る。そんな中僕は生暖かい風をアキレス腱辺りに感じていた。春、その陽そのものが灯りだった。


隣の席に座っていた子供が僕に薄いプラスチックに包装された蛙の形をした棒付きのチョコレートをくれたので僕はそれを食べながら会社員の顔を描いていた。電車はどこかに向かっているのだが、電光掲示板に何が書いてあったか残念ながら思い出せない。一度隣の子供がジュースを買いに電車の2階に上がった為しばらく僕は彼等と無言の対話を行っていた。


OLは顔が完全に画面に吸い込まれている為、発話が出来ない。が、指はしきりに動いており何かしらの作業を行っているのは明白であった。僕は会社員を濃い青で縁取り淡い紫で彩ると筆を起き会社員を起こした。会社員は起きるとそのまま扉をすり抜け降車した。会社員は外に出ると鞄を羽根に踊り空へと消えた。僕はそれを写真に納めOLに見せたのだがスマートフォンが邪魔で見えないようで、必死に首を傾げていた。僕はそれを見て、おかしくて笑ってしまった。そのOLと二人で抹茶のラテを飲んだ。味はしなかった。僕が描いた絵を彼女に見せるとスマートフォンでそれを撮影したらしく、そこで初めて撮影をすれば見られる事に気が付いたらしく反応をしていた。楽しそうだった。

選別

一週間、ブログを空けてしまった。

というのも筆を取り、書き連ねていく内に似たような心象風景を描いてしまい自分の腕を呪いたくなる日々が続いた。そこに胃腸の感染症も重なり心身共に苦しいものがあったのだ。だが、僕はここで思う。僕は僕を恐れているのではないか、エンタメを求める魔物が僕に巣食っていて、ここにすらその触手を伸ばそうとしている。ただ、取り留めもない事を書く事をエンタメとするなら、魔物を言いくるめる事が出来るのではないか。そう思い、僕は日常に潜む他が触れない色を掬う事にした。

 


『 』

 


ここに僕の名が入る事は生涯ないだろう。それでも僕は何かになろうとしている。不定形の泡沫、そこに閉じ込められた虹を追いかける生涯になりそうだ。だが、それすらも愛おしい。

 


先にも述べたがこの数日間体調がすこぶる悪かった。一日のほとんどを寝て過ごし、高熱と激しい腹痛に襲われながら様々な事を考えていた。

僕は何て時に体調を崩したのだろう。

僕がこの苦しみを後に引き出す為にはどういった身体の状態であれば良いのか。

今時間はいつだ。天気は何だ。

 


熱で鼻が利かない。体が重く、気絶にも似た就寝と覚醒の狭間で揺らぎながら僕はいくつもの夢を見た。ちらつく白熱電球のように、馬鹿げた夢だった。全て断片的にメモしておいた。これは僕が夢日記を書いていた時期の名残である。興味深い灰汁の如し夢だ。

 


スーツを着た僕が駅の仄暗い階段を登っていると踊り場で女子高生三人に出会った。(色地までは記されていないが同じ学校だった)三人は僕にこう言った。「お兄さんは私達の中で誰が一番可愛いと思う?」当然、僕の歪みきった価値観の色眼鏡では判断する事も出来ず、その問いに対して困惑しきっていた。(無論顔は覚えていない)

三人の彼女達は誰が選ばれるのか賭け事をしており、皆自分に賭けている様子だった。私を選べと言わんばかりに自分をアピールしてくる。僕は「とりあえず君達の事を少し知りたい」と言った。じゃあ近くで座って話しましょうと回転寿司店に入った。

 


彼女達の事を聞いていたのだがこれが普通、普通の女性の半生なのだ。健康的、青春の爽。眩しかった。その光に僕は涙してしまった。その様子を見た彼女達は僕を慰めようと性行為に入るのだが、これが苦しみでしかなかった。僕は彼女達に何も感じなかった。それを実感した自分が恨めしくなり行為を中断し寿司を食べていた。すると注文をとりに来た男性店員と彼女達が性行為を始めた。僕はそれを見ていた。見る事しか、出来なかった。

 


彼女達は店員に聞いた。

「私達の中で誰が一番可愛いと思う?」

彼は言った。


「皆可愛いよ。それで良いじゃない?」


彼女達はその答えに満足そうでそのまま性行為を続けていた。

僕は彼女達の分を含めた食事代の会計を済ませ、その場を後にした。

雪が降り始めていた。涙で冷えた頰で気付かなかったが、僕は裸足だった。

飼育

快晴、それは青だ。青が全てを支配している。

反転したグラフィティ。生きる為には、その上に自分の色を残さなくてはいけない。

不潔だが、それが人間というものだ。

 

 

どうも今日は怠惰、身がふやける。枕が重い。暁が遠ざかっていく気配を聴く。温かさを脱ぎ去りブランチのスープを含む。こんなに目を開けたのが遅かったのは久し振りだ。ガムランの音色に似た食器の接触、水道の急流に流されていくスープの名残。僕があの液体の中を泳いでいた玉葱を噛み砕く度に、時間は消え行く今日の陽を嗜んでいる。死んだ人間にとやかく言ってもどうにもならない。

 

 

季節外れの桜。開花は有り得ない。だがその枝に人肌魅せる桃の泡が付いているような気がしてならない。雪が降っても良い澄みし有明に敬礼し、僕はまだ仄かにコンソメの香りがする家を出た。

 

 

外は寝床とは違った暖かさを僕に与えてくれる。変わらぬ営みが展開されている。ジョギング、出勤、買い物。僕みたいに散歩している人間はこの営みにカモフラージュされている。僕と同族の人間はいるのか。見た目では分からない。そこに面白味を感じる。

 

 

結局、僕は背景だ。この空に等しい。同じ人間、そう片付けられるのも仕方がないだろう。僕は、そこから逸脱しようともがいている。酸素を、大気を、この手で掴もうとしている。『逸脱』か。悟りと同じで、そう思った時点で僕は籠の鳥なんだろうな。